ヘレン・アダムス・ケラーの誕生日
ヘラン・アダムス・ケラーの誕生日
1880年6月27日、アメリカ合衆国のアラバマ州、タスカンビアで誕生。
生後19ヶ月で猩紅熱に罹り目・耳が不自由になって話すことさえできない状態。
従って非常に我が儘に育つ。
両親アーサー・ケラーとケイト・ケラーは困りはてて、視聴覚障害児の研究をしていた、アレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明家)に相談し、彼の紹介でアン・サリバン(通称アニー)が家庭教師として派遣された。
以後彼女は50年間にわたり教師として真剣な相談者としてヘレンを支えた。
1900年、ヘレンはラドクリフ大学(現ハーバード大学)へ入学した。
1902年、『わたしの生涯』が出版される。
1904年、ラドクリフ女子大学を卒業、文学士の称号を得る。
1906年、マサチューセッツ州盲人委員会の委員となる。
1909年、社会党に入党。婦人参政権運動、産児制限運動、公民権運動など、
多くの政治的・人道的な抗議運動に参加する。また、著作家としても書き続ける。
1937年(昭和12年)、日本を訪問。彼女は秋田犬を所望した。
後に2頭を贈られた。また、中村久子と会う。
東京盲学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校)訪問。
1948年(昭和23年)、2度目の来日。
これを記念して2年後の1950年、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団
(現東京ヘレン・ケラー協会)と、財団法人西日本ヘレンケラー財団
(現社会福祉法人日本ヘレンケラー財団)が設立されている。
1955年(昭和30年)、3度目の来日。52~57年にかけての来日もあり。
熱烈な歓迎を受けた。来日の理由には1954年に没した、
朋友岩橋武夫に花を手向 けるためでもあった。
1961年、病気になり、徐々に外界との接触を失う。
1968年6月1日、死去。87歳没。
簡単な経歴を書いたが、例え身体の一部が不自由であっても、世のため人の為に、
奉仕が出来ると云う社会福祉事業家であった。
彼女とは月とスッポン、天地の違いがあるが、五体満足にも拘わらず、明るい家庭造り、平和な社会創り運動が、遅々として思うように進展しない力量不足を嘆く、気まぐれ爺である。明日から更に奮励努力しないといけない。
、
写真は本文とは無関係です。ハンカチの木・バラ・バラ
1880年6月27日、アメリカ合衆国のアラバマ州、タスカンビアで誕生。
生後19ヶ月で猩紅熱に罹り目・耳が不自由になって話すことさえできない状態。
従って非常に我が儘に育つ。
両親アーサー・ケラーとケイト・ケラーは困りはてて、視聴覚障害児の研究をしていた、アレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明家)に相談し、彼の紹介でアン・サリバン(通称アニー)が家庭教師として派遣された。
以後彼女は50年間にわたり教師として真剣な相談者としてヘレンを支えた。
1900年、ヘレンはラドクリフ大学(現ハーバード大学)へ入学した。
1902年、『わたしの生涯』が出版される。
1904年、ラドクリフ女子大学を卒業、文学士の称号を得る。
1906年、マサチューセッツ州盲人委員会の委員となる。
1909年、社会党に入党。婦人参政権運動、産児制限運動、公民権運動など、
多くの政治的・人道的な抗議運動に参加する。また、著作家としても書き続ける。
1937年(昭和12年)、日本を訪問。彼女は秋田犬を所望した。
後に2頭を贈られた。また、中村久子と会う。
東京盲学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校)訪問。
1948年(昭和23年)、2度目の来日。
これを記念して2年後の1950年、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団
(現東京ヘレン・ケラー協会)と、財団法人西日本ヘレンケラー財団
(現社会福祉法人日本ヘレンケラー財団)が設立されている。
1955年(昭和30年)、3度目の来日。52~57年にかけての来日もあり。
熱烈な歓迎を受けた。来日の理由には1954年に没した、
朋友岩橋武夫に花を手向 けるためでもあった。
1961年、病気になり、徐々に外界との接触を失う。
1968年6月1日、死去。87歳没。
簡単な経歴を書いたが、例え身体の一部が不自由であっても、世のため人の為に、
奉仕が出来ると云う社会福祉事業家であった。
彼女とは月とスッポン、天地の違いがあるが、五体満足にも拘わらず、明るい家庭造り、平和な社会創り運動が、遅々として思うように進展しない力量不足を嘆く、気まぐれ爺である。明日から更に奮励努力しないといけない。
、
写真は本文とは無関係です。ハンカチの木・バラ・バラ
この記事へのコメント
日本とも深い関わりがあったと云う事は知りませんでした。
当時来日したとのニュースは聞いた事ありましたが。
立派な方だったんですね。
例え不自由な身体であっても、我欲を乗り越えてやれば、出来ることがあるんですねえ。振り返ってみますと自分の心配よりも、人様の心配をした方が良いと云う場合も多くあるようです。お身体をご自愛下さい。
またよろしくお願い致します。